竹中平蔵氏のコメントを見て
池田信夫氏のブログを見てると竹中平蔵氏を思い出し,ブログをやっていないかと
調べてみたら,あるテレビ番組に出演した竹中氏の発言をメモしたブログを
見つけた.
http://nikonikositaine.blog49.fc2.com/blog-entry-197.html
ブログ主に感謝しつつ,発言を読み解いてみた.
番組内での反論
萩原博子氏がこれに対し,色々と反論を述べていました.萩原博子氏のことは私は全く知らないのですが,
コメント内容を見る限り,00年代の自民党政治の経済政策を批判するときのお題目をずらずら並べて
いるようです.
反論の要点は,「なんで私たちがこんな苦しい思いをしなければならないんだ」という言葉で集約できると
思います.要するに,絶対的力を持つ政府がなんで私たちを救えないのかと.発言自体は元ブログの方で
確認していただきたいのですが,かなり議論が稚拙です.しかし,「政府が悪い,企業が悪い」という
いつもの題目は,やはり多くの共感を得ていたのだなあ,ということを思い出させてくれる発言の
オンパレードです.私も昔はこういう発言に共感していたのかと思うとぞっとします.
なぜこんなにも食い違うのか
なぜ,竹中氏といわゆる「コメンテーター」の発言はこんなに食い違うのか.それは
「政府」をどういう存在として見ているかの一点に集約されると思います.
竹中氏はあくまで「政府」を経済の調整役程度にしか思っていません.ですから,彼の
主張は「歪みの是正」と「今まで過剰に保護していた存在の保護を無くし,保護していなかった
人間を保護する」という政策をとろうとします.
しかし,この方法は今まで過剰保護されてきた人間の反感を買うに決まっています.過剰保護されてきた
人間は,その過剰保護を続けることができなくなったことに気づかず(あるいは気づいていても),
「今まで保護していなかった人間を保護しろ.ただし,俺たちの保護をやめることは許さない」という
のみです.この主張を擁護するのが「コメンテーター」です.
「コメンテーター」は竹中氏と違い,政府は神にも等しい,経済を全て操作できる存在であるかのように
言います.あるいは,全ての原因は政府が経済を操作できていないからだ,とも言います.それならば,
政府の権限をはぎ取り,小さな政府を目指せば良いのに,彼らの要求は大概手厚い社会保護を行う
大きな政府です.
この考えの背景にあると思われるのは,共産主義的な「計画経済」の考え,あるいは,「俺たちならば,こいつら
無能とは違い,全てを良くすることができるのに」といった傲慢な考えです.歴史的にも政府が本当に
正解の手を打ち続けて経済を良くすることができたのは,ほんの一瞬のことだけであり,これらの考えを
擁護できるような背景はありません.
まとめ
昔は,私も竹中氏のやってきたことは良くなかったと思っていましたが,経済学の授業を受けて以来
その考えは大分変わり,竹中氏はあの状況の中よくやったと思っています.
今後も,とにかく批判し要求し根拠を示さないコメンテーターは,テレビに出続けるかと思いますが,
正しい知識を見につけて,そういう無責任な批判を信じない力が求められると思います.